今から13年ちょっと前かな
当時勤めていた会社が もう閉めようとゆー事で、
失業保険を受給しながらニートを満喫してる頃合いに↑コイツと出会いました
当時はスロットも4号機全盛
嫁さんがハマっていた機種、吉宗から
まんま吉宗とゆーネーミングを与えました 笑
この吉宗を皮切りにどんどんと猫が増殖していった訳ですが、
吉宗一人の時間は1年足らずで、
あまり猫好きではない吉宗にはちょっと気の毒だったやもしれません・・・ 苦笑
ちょうど1年前辺りだったと思います
ちょいとヤバそうな咳のような咳じゃないような事を繰り返す様になり、
顔も腫れ、掛かりつけの獣医師の先生にみてもらいました
これが歯や歯茎からきてるものなのか、いわゆる腫瘍なのかの判断をするには、
その道のエキスパートに委ねましょうとゆー事で、
四谷にある喉頭周りのエキスパートの先生を尋ねました
結果は残念ながらリンパ腫でした・・・
この頃合いには すっかりヤツれ、このまま死んでしまうのかなと覚悟をする状況に・・・
そして再びいつもの獣医師を尋ね、今後の検討をします
体力的に抗がん剤及び放射線治療は無理だと俺は感じておりました
数年前に癌に侵された親父がもともと体力が無いのもあって、
放射線治療で(喉元だったので)ろくに食事を取れず、日々やつれていく様を見ていたので、
同じ道は踏ませたくなかったのでね
そんな旨を先生も酌んでくれステロイド剤とゆー選択肢を提示してくれました
癌の進行を抑え、副作用として食欲が旺盛になると
まさに今の吉宗には打ってつけじゃないですか
もともと持病の甲状腺の投薬も、今の状況で控えていたのですが、
ステロイド&甲状腺の薬の投薬を始めると、
みるみる体力と体重が増えていきました
気付けば再び何もない日常を繰り返す様になっておりました
あまりの順調ぶりに、コイツ本当にリンパ腫なのかなと思わせる程
あわよくば、このまま年齢的な衰弱まで元気でいてくれないかなと
淡い期待が湧くほどに、本当にそう思わせる程元気になってくれました
春を迎え、夏を過ごし、秋も深まり、そろそろ冬を迎える11月下旬に様子は一変しました
みるみる体重が減り始め、食欲も一気になくなり、衰弱の一途を辿りました
ここで覚悟が決まりました
悪戯に点滴等で延命するより、自然の摂理を尊重しようと
色々考えがあるでしょうが、俺は先があるならあれこれ必死にするべきだと思います
だけど、もう末路は見えている状況で延命措置を施すのは、
単に飼い主、人のエゴだろうと
あまり辛そうなら安楽死を施す心づもりで吉宗の様子を見ておりました
ほぼほぼ飲めず食えずなのに、彼は1日1日を何事も無い様な素振りで過ごします
ヨロヨロと ろくすっぽまともに歩けないのに、
痩せた身体を抱き寄せて、撫でてあげればゴロゴロと
純粋に喜んでくれているのか、心配させまいと振る舞っているのか、
俺らには正確な事は分かりませんが、おそらく後者だったのだと思います
なので、今年は大阪遠征も物凄い悩みました
直前の様子で最悪はドタキャンしようと
幸い、まだ数日は頑張ってくれそうだと遠征を決行
帰宅後も彼は何食わぬ顔で接してくれました ほっ
ヨレヨレながらも高貴な生き様を見せる彼に安楽死は失礼だなと
更なる覚悟を決め、末期を待ちます
12月11日、帰宅するとヨレヨレながらも歩けていた彼が
もう補助無しでは歩けない程に衰弱しておりました
それでも歩く彼の姿に涙が止まりません・・・
今夜が山場だなと、長い時間彼を抱っこしておりました
そしてヨロヨロと膝上から歩き出し、コタツの傍らで横になり、
あれ?リラックスして寝れているのかな?と思わせる、
猫が寝ているいつもの様を見て、まだ大丈夫だなと
取り敢えずベットに潜り、睡眠をむさぼっていると、
早朝嫁さんからのコールが・・・
『吉宗が逝った・・・』と
うんうん、よく頑張った
ありがとう、お疲れさま ゆっくり休んでおくれ
先に逝っている慶次に宜しく!
しかし、ちゃんと嫁さんの定休に合わせて逝くなんて、
つくづく飼い主思いのヤツだったなぁ・・・